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特別寄稿
 「ルイスビルと長嶋カントク」
 
東京ゲッツ 俵谷


 「直球曲球」ページを見ていたら「ルイスビルというバット、、、」という投稿がありましたので少しでもお役に立てればと思いメールいたします。

 たまたま私の手元に、後輩からもらった1968年11月3日の週刊読売「カージナルス来日特集」臨時増刊号があります。その中の広告ページに「ルイスビルスラッガー」が出ています。3人ともルイスビルを使っていたかどうか、さだかではありませんが、(この当時の広告ですから、いい加減かも?という意味です)ロジャー・マリス(カージナルス)の顔写真とサイン、長嶋と王のサインと似顔絵が記載されています。広告主は、丸紅飯田となっています。

 本題はここからです。1年ほど前ですが、長嶋カントクとお話しできる機会がありまして、話題にでもなればとこの本を持参しました。お見せすると「ほー、よくとってあったねぇ」(本のこと) 「---ルイスビルの広告に出ていたのですね?---」「うん、そうそう。ある人を通じてどうかな?と声が掛かったからお願いして、輸入してもらったんだよ。存在は有名だったから、もちろん知っていました。」(使っていたことを示唆する内容に変化)「だから、日本で始めてルイスビルを使ったのはボクではないかな、おそらく」なんて話しになっていったのでした。
 
 ここは覚えてないのですが、200本だったか100本だったか(?)を個人で買い付けたのだそうです。また、豪快な数を、、、。「初めましてさん」のお持ちのバットは、その後の「長嶋モデル的な販売用バット」または「長嶋専用の個人バット」のいずれかなのでしょう。 

 ちなみに1968年掲出で、すでにカントクは広告に登場していますからカントクが注文したのは、これより少なくとも2年以上前の話しになります。またこの時、別の話しですが、たまたま黒いバットの話しになり、「今は黒いバットなんかが出ているけど、ボクらはバットの木目を見るからね。飛びそうかどうかをね。だから、色の付かないものでないと、、、。木目を見て、これだ!って思うモノを使っていましたよ。バットマンだからね、ぼくらはね。」とも話しておりました。
 
 ひょっとするとその時、何100本の試合用バットの中から、長嶋アイにかなわなかった選外のバットということも考えられます。以下のいずれかの可能性が高いのではと思います。1◎長嶋モデルという販売用2◎長嶋個人用に多数注文した中の選外品。または、知り合いなどに進呈したモノ。長嶋カントクに関しては、あまりに伝説が多く以上のようなことを考えるだけでも楽しいです。

 ちなみに、カントクは「三井物産」にて輸入したと確かおっしゃっていましたが、輸入代理店は、「丸紅」だったりします。カントク流のおちゃめな間違いなのかそれとも両社に扱いがあったのか、今となっては、私に調べるすべはありません。「まぁ、そんなこと、もういぃじゃない、、」なんて調子でいわれそうですけど。いずれにしても、今や手に入れることの出来ない逸品であることに変わりありません。(長嶋モデルというもの自体、少ないと思いますけど)大事に保存下さい。

「初めましてさん」や「高橋さん」がこの広告を見たいとおっしゃる時は、直接メールに画像添付いたします。臼井さんに仲を取り持っていただいて、、古い広告ではありますが、ネット上に公開して権利関係等で問題があるといけませんので。

(2003年11月5日)



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